臨床神経学

<教育講演(3)―5>

戦前日本の神経学

橋 昭1)

1)名古屋大学名誉教授〔〒474-0026 愛知県大府市桃山町四丁目126番地〕

日本の神経学はオランダの軍医Pompeから19世紀中期に長崎に導入された.その門下の司馬凌海は日本最初の神経治療薬を紹介した.その後,ドイツからBälzが来日,その門弟らが1902年に「日本神經學會」を創設した.当時の日本は国民病の脚気が神経学研究の中心であった.しかし,神経学者は脚気の病因として感染説あるいは中毒説を掲げ,正鵠を射ることができなかった.Vitamin B1欠乏が確立されると神経学の研究は下火となった.神経学の講座の独立が遅れたこと,講座制のため神経学が正しく継承されなかったこと,神経症候学,神経診断学などの教育が不十分であったことなどから,戦前日本の神経学は一時低迷した.診断学が充実され,神経内科講座が独立し,神経内科学が隆盛したのは戦後になってからである.
Full Text of this Article in Japanese PDF (351K)

(臨床神経, 53:926−929, 2013)
key words:日本神経学,脚気,三浦謹之助,川原 汎,第二次世界大戦

(受付日:2013年5月31日)